わたしの京都
2006年01月16日
宇治茶は馬の足跡から 明惠上人
明惠上人(みょうえしょうにん)が馬に乗って、宇治の山すそにやってきて、馬の上から、あちこちをながめていた。上人は、馬をとめて、畑仕事をしていた農民に声をかけた。
「袋のなかにある木の実をこの畑にまいてほしい。」
しかし、農民は、「見たこともない木の実で、まき方が分からない」と答えると、その方は、馬にまたがったまま畑の中にゆっくりと進んで行った。そして、畑から出てきた上人は、この実は、
「中国から伝わった茶というもの。畑の中の馬の足跡の間隔にその種をまけばよい。」更に、その葉を粉にしてお湯に混ぜて飲めば体にも良い効能がある薬であるとも。
栄西は、それより前に、茶の種子を右京区の栂ノ尾・深瀬の地に播いた。ここが日本で最初にお茶が栽培された場所である。
その後、栄西より譲り受けた種子を、明惠上人が茶栽培に適した宇治の風土を見抜いたことや栽培に関わった農民の努力で宇治茶は更に品質を高め、日本の緑茶文化を発展させてきた。
明惠上人が馬で足跡をつけた茶畑は、宇治で「駒蹄影園」(こまのあしかげえん)と呼ばれている。
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2006年01月09日
京の茶 かぶせ茶
「かぶせ茶」とはよく聞く。
茶畑に日覆いをすることからこの名が付いている。製法的には玉露と同じだが、覆っている時間が違う。被覆することにより、新芽の硬化も遅れて、被覆茶葉は柔らかく粉になりやすいので蒸しには気を使うそうだ。
そして、味の方は、日覆いすることにより茶葉の光合成の作用が高まり葉が大きくなり、葉緑素も増えるので濃厚な緑色で、お茶の旨味に富んでいる。
2006年01月07日
京都 北野天満宮 そろばんはじきぞめ
京都上京区の北野天満宮は年末年始には多種多彩な行事が催される。31日午後10時から無病息災を願う火縄授与。1日午前7時から歳旦祭。2日は書き初め会。3日午後に奉納狂言。そして、5日午前10時からそろばんのはじきぞめと。
この日、小雪が舞う中、そろばんの上達を願う「新春そろばんはじきぞめ」が学問の神様の菅原道真公をまつる北野天満宮で行われた。パチパチという玉の音を 境内に響かせ、参観者はかじかむ手をときおりこすり合わせたりしながら、熱心に 取り組んでいた。 クリック!<==ここクリックしてね!
2006年01月06日
京都 六波羅蜜寺
ここ、京都の六波羅密寺では正月の3日間は、空也上人が悪疫退散のために献じたお茶にちなんだ皇服茶(おうぶくちゃ)や弁財天初稲穂が、3000名に無料で授与される。
これは、空也上人が京都に疫病がはやったときに、薬湯を病人に飲ませ病気を平癒したという故事にちなんで、元旦に汲んだ若水で茶を点て、小梅と昆布を入れた皇服茶おまもりのお札もついて300円という手頃さからたくさんの参拝者で賑わっていた。
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2006年01月04日
下鴨神社 蹴鞠はじめ
京都、左京区の下鴨神社で「蹴鞠はじめ」が、4日行われた。烏帽子(えぼし)に袴姿という色鮮やかな衣装で、8人が1組で、「アリ」「ヤア」「オウ」のかけ声と共に鹿皮製の鞠を右足だけでける。あでやかな宮廷文化の再現である。中国から伝来した球技だそうだが、勝敗を争うのではなく儀式として、神事のあとに行われた。相手が受けやすいようにけることによって出来るだけ長く鞠を回す優雅さいっぱいの行事であった。
2005年12月30日
京都の風味 茶だんご
数ある京都のお菓子の中でも庶民的で、かわいいお菓子はこの「茶だんご」と言っていいだろう。
米粉、砂糖、抹茶を手でねりあげた茶だんごは昔風味で宇治茶がこくをだしている。
宇治の高級抹茶をたっぷりと使用した豊かな風味と薫りが自慢の逸品。抹茶の味わいが濃い目なところがお得感がある。
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2005年12月11日
京都 壬生寺をまわる
綾小路、千本、仏光寺、坊城の通に囲まれ、広大な境内を持つ壬生寺は壬生狂言や節分の豆まきで有名だが、新選組ゆかりの寺としても有名なところ。
新選組は、記録によると毎月4と9のつく日を壬生寺境内での兵法訓練の日にしていた。訓練では、壬生寺のすべての門を閉じて参拝者を締め出し、禁じられていた馬での境内への乗り入れを行い、大砲を発射もしていたとか。
このような状況のため寺が西本願寺屯所にまで出向き、再三にわたる申し出をしたが改善されないために、参拝者は減り大砲の振動で寺各所の屋根瓦や戸障子が破損したという。
又、沖田総司が壬生寺の境内で近所の子供達と遊んでいたという話も有名だ。
坊城通の門を入った右手には新選組隊士の墓「壬生塚」がある。一番目を引くのが一番奥の近藤勇像。口を真一文字に結び威厳を感じさせる。
八木邸で暗殺された芹沢鴨と平山五郎などの墓がある。少し小振りの芹沢らの墓は他の墓石に比べて新しい。
仏塔のような異国を思わせる風景に目をひかれた。よく見ると仏塔の側面には石仏がいっぱい並んでいるではないか。これは区画整理の際に京都市内中から集められ納められた仏像で作られた「千体仏塔」である。実に見応えがある。
2005年11月22日
知恩院の七不思議
京都知恩院。徳川家光が建てた浄土宗の知恩院。ここには、「忘れ傘」「抜け雀の襖」などの七不思議が伝わる。
御影堂正面の軒裏には、骨ばかりとなった傘がみえる。これが「わすれ傘」のいわれの始まり。
左甚五郎が魔除けのために置いていったという説と、知恩院第32代の雄誉霊巌上人(おうよれいがんしょうにん)に御影堂を建立されると、白狐の住処がなくなるので霊巌上人に新しい棲居をつくってほしいと依頼したと言う。それをかなえてくれたお礼にこの傘を置いて知恩院を守ることを約束したとの言い伝えがある。
その後、傘は雨が降るときにさすことで、火災からのお守りとして今日も信じられている