2005年10月23日

奥の細道 象潟(きさかた:秋田県)5

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「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。」で始まる奥の細道。松尾芭蕉をたどっていくことにします。しかし、わたしの時間の都合で、その場所その場所を順不同で紹介していくことにしたいと思います。芭蕉は、象潟町によっています。ここは芭蕉の足跡で一番の北側になり、ここから南下を始めていきます。
象潟町は平成17年10月1日より、近隣の金浦町、仁賀保町と合併し「にかほ市」になりました。ここでは、芭蕉は「象潟や雨に西施が合歓の花」と美女西施に例えて、象潟の風景を詠んでいます。芭蕉の旅した頃は松島と並び賞される裏日本の景勝地でした。その後、1804年(文化元)の地震で隆起し、島々は陸地と化してしまい、今では、水田の中の小山となっていますが、往時を忍ぶことができます。当時は、島があって芭蕉が立ち寄った蚶満寺には、句碑が残されています。

 



昔は松島のように海に浮かんでいた現在は、この写真のように水田に小さな島々が見えるが、当時は、松島のように島々が海に浮かんでいた。今、松島町にかお市は、夫婦町の盟約を結んでいます。蚶満寺山門いにしえの象潟は、波静かな潟に島々が浮かぶ、それはそれは見事な景勝地でした。当時は、松島と並ぶ名勝とされていました。ここを九十九島と言います。
 ところが、大地震によって、海底が隆起し潟の海水が失われ、現在の陸地になったのです。
・・・というわけで、ここ象潟は、海の底から生まれたロマンの町なのです!!
蚶満寺の句碑旅人芭蕉立像きさかたさんぽみち 











合歓の花この美しい花から、芭蕉は西施を思い浮かべ、またはかなさ、悲しみも感じたのでしょうか。

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astroboyatom2005 at 20:52│Comments(0)TrackBack(0)奥の細道 

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